最近の若い人の「テレビ見ない」アピールについて
とってもおもしろかったです。
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* コミュニケーション弱者であるような気分になってしまう
やはりこれもコミュニケーションの話になります が、リアルタイムでテレビ番組を見るという状況は、基本的に家にいて「ぼっち」であるという状況をイメージさせるでしょう。もちろん、友達が来て、家で一 緒にということも考えられますが、「テレビは見ない」と言っている若者がわざわざ集まってテレビを見るという状況は少なそうです。
こうした、テレビを見ているということは、孤立していていて、コミュ力のなさを露呈させてしまうという気持ちが関係して、「テレビは見ない」と言う人が増えているのではないでしょうか。
* テレビのネタより自分たちのネタのほうが大事
テレビから流れてくるネタは、誰が結婚しようと誰がランキン グで一位をとろうと誰がドラマで主演をしようと所詮他人のネタです。昨今は、地元志向が高まっていたり、「うちら」という自分が主体のコミュニティが重要 視される中、「知らない」誰かがどうしたということでは、心は動かされません。テレビのネタが自分のネタだと思えるような出来事、例えば「じぇじぇじぇ」 や「倍返しだ!」が流行語になったとき、つまり、流行語を使って自分のコミュニケーションに役立ったときだけは、自分のネタになりえた瞬間ではないでしょ うか。また、誰かのファンであり、ファンのコミュニティに自分が属しているときも、自分のネタとしてテレビを消費できるでしょう。
* テレビを見る事は能動的な行動にみなされない
インターネットが出てきてから、人々は、自分の好きなものを 取捨選択して見るということが多くなりました。しかし、テレビは、この番組を選択して見るというイメージよりも、だらだらと流れているものをこちらが受け ているとみなされることの方が多いでしょう。もちろん、多大なテレビ番組の中から、これを見るという選択をする場合もあるのですが、時間的に一日中流れて くる情報を、自らの意思をもってとりにいっているという感覚は起きにくいでしょう。断捨離がブームになりましたが、今は雑多な情報をできるだけ多く受け取 るというよりも、こちらが意思を持って取捨選択しているという感覚が欲しい人のほうが多いのではないでしょうか。
現在、「テレビを見ている」ということは、「テレビは見ない」と いう人より、イメージとして、圧倒的になんかカッコ良い感じがしないのは事実です。そこには、コミュニケーション弱者の匂いがするからでしょう。
わろた・・・・・・泣
私ももっと社会と向き合わなければいけませんね
確かにfacebookで”今このテレビ見てる”
とか投稿してたらけっこう引きますもんね